新ササスペは人間が試されている
かなり精神論になりますが、少しお付き合い下さい。
私たちの新ササスペを飲ませる為の試行錯誤はしばらく続きました。これは私の挑戦でもありますが、本来はトラの挑戦です。本来の挑戦者はトラなのです。
私があまりにも調子に乗って自分の勢いだけでまずい液体を無理矢理ねじ込むと、その日一日食欲がなくなってしまい、挑戦者のトラが食事ができなくなってしまうというリスクが有るのです。
完全に手詰まり感がありました・・・
ある日、女房から「トラちゃんにもせめてリラックスタイムを与えてあげたい」というので、私も少し冷静になりました。
そこで1日だけ嫌がるたぐいの薬を一切与えない日を作りました。但しその時、前の処方と同じ「飲めるササスペ」だけを与えたのです。以前のササスペも飲めなくなっているのでは・・・という不安もあり恐る恐るシリンジで与えてみたら・・・これは飲んでくれました。ああ、よかった!
このリラックスタイムで、私は少し冷静に考えることが出来ました。嫌がるトラに無理強いをするのは本来志していた治療の方針に反しているのではないか。これでは抗生物質や抗癌剤で薬漬けにするのと大して変わりがないのではないか。実際にトラはあんなにも嫌がっている。
ここで以前の私であれば、「飲めないなら無理をさせずに、以前のササスペを飲ませておけばよいか。」「飲まないんだからしょうがない」と言い訳をしてそれ以上進めなかったかもしれません。
ですが、先生から聞いていた「飲みさえすれば良くなりますから」という言葉が強烈に頭の中に響いていました。
こんなところで立ち止まっている場合ではない。
猫の治療で人間が成長できる
トラちゃんは3年前迷い猫として私たちの家にやってきてくれた。その時足に大怪我をしていて、私がこの猫を面倒見てやろうと心に決めたのは、それまでニャーニャー鳴きわめいていたところを抱きかかえてあげた瞬間に泣き止み、私の目をじっと見つめて次第にトローンとして眠ってしまった顔を見た時でした。
こいつ、ずっと俺んちを探していたんだな・・・という変な運命を勝手に感じていました。
私が幼い頃から母が猫好きだったので、よく家では猫を飼っていました。
このトラちゃん以前に飼っていたのは25年前でしたが、やはり、猫エイズで死んでしまったのでした。白い猫でしたが最後は体が真っ黄色になって死んでゆきました。
そんなことがあったので、本当はもう猫を飼うのは嫌だったのです。ですので家で飼い始めてからも、猫に対して心を開いていないような自分が居ました。心から可愛いと思っている猫がいなくなった時の気持ちを想像すると辛かったのです。
よく今ですと、「ペットロス症候群」という言葉がありますが、正に私はペットロスにかかっていた時があったのです。
あれが辛くて嫌だった・・・
ですが、トラちゃんの治療を通じて
命と正面から向き合うことでそれは払拭できるということを直感的に感じていました。
私は今回のことを通じて絶対に他人ごとにしない、
命とのつきあいかたについて学んでいるのだと思いました。
トラちゃんを治療する
であるならば、中途半端に言い訳したり諦めたりすることなく、徹底的に自分の命と引き換えにするくらいの気持ちで付き合ってやる。
飲んでくれないからしょうがない、嫌がるなら無理にやることはない、それが運命だ、私にはもうこれ以上のことは出来ない・・・
こんな結論や言い訳は糞食らえ!なのです。
私は毎朝5時半に起床し、トラちゃんのおトイレ掃除、餌やり、薬やりをしてからジャージに着替え、4キロのジョギングに出ます。習慣づけることで苦痛ではなく自分のリズムになってきます。
どんなことでもリズムになれば生活の中で前向きな1ページにすることが出来ます。
諦めの理由など出るほうがおかしいくなってきます。癌を治療するという一念で前に進めるしか選択肢はなくなります。
すると、前に進めるために、
「猫が嫌がることを嫌でなくするためにはどうしたらよいか?」
つまり、「味のストレス」を感じさせずに飲ませるにはどうしたら良いだろうか?
この思考をしてから、次のステージに進むことが出来たのです。